ある時、会社で「安全祈願」が行われました。これは何か大きな工事や年始めなどの時によく行うのですが、その度にクリスチャンである私は思うことがあります。
まず、そもそもそこに本当に神様がいるのでしょうか?そしてその神様に対する「信仰」が本当にあるのでしょうか?もしそこに本当に神様がいて、信仰心があるならば、その人達は毎日でも拝まなければならないはずです。

あと、なぜ「お願い」だけなのでしょうか?実は私はこのことが一番滑稽に思えるのです。いわゆる「困ったときの神頼み」的に安全祈願をするのに、いざその大きな仕事が終われば「皆さんの知恵と努力の賜物です、力を合わせて行った結果、無事完了することができました」というのです。
神様に「安全に完遂できるように」とお願いしておきながら、いざそれが成功すると自分たちの手柄となるわけで、その度に私は「安全感謝」はしないの?と言いますが、みな無言になります。いつの間にか神様はどこかに消えてしまうのです、とてもきつい言い方ですが、神様でないものを拝む上、自分たちの都合によって神様の存在を無にするわけですから、これはとてもふざけた話なのです。

お怒りになられる方もおられるでしょう。しかし、実はこのような姿こそ、聖書では「最大の罪」と言っているのです。神でないものを拝む、そして創りだす。これらの行為は己を神とする行為であり、私たちをお造りになった神様に対する大きな背信なのです。

聖書に記されている唯一の神様はこの間違い(罪)に気づくことを皆さんに望んでおります。
是非、この大きな罪にお気づきになり、聖書を通して正しい神様を見出し、そして正しい信仰を持たれますよう心から願います。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」(聖書)
「彼らは、神でないもので、わたしのねたみを引き起こし、彼らのむなしいもので、わたしの怒りを燃えさせた。」(聖書)