戦争は美化できない

ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻が続いていますが、これを見ていると二つの言葉を思い出します。
一つは、子供の頃見ていた漫画のキャラクター(ドラえもん)が言った、「どっちも自分が正しいと思っているよ。戦争なんてそんなもんだよ」という言葉で、もう一つは沖縄の平和祈念公園展示室内の壁に記されている、「沖縄戦の実相にふれるたびに、戦争というものはこれほど残忍で汚辱にまみれたものはないとおもうのです このなまなましい体験の前ではいかなる人でも戦争を肯定し美化することはできないはずです(以下略)」という言葉です。

真の正義を知らず、破滅の道を歩む人間

自分の主張する正義が、尊い人のいのちや財産をたとえ一つでも奪うなら、それは正義でも何でもありません。そして正義とは国や民族などのそれぞれの立場からくる主観によって変わるものではないのです。
にも拘わらず人間は、それぞれ自己中心的な理屈を正当化してそれを正義として振りかざし、さらには平和のためと言って核武装などの軍備増強さえもいとわないのです。
このように本末転倒で愚かなことを互いに繰り返し続けるので、結局人間はいつまで経っても真の平和を実現することができず、逆に破滅の道を歩み続けるのです。

聖書が教える「争い」とその原因

「殺してはならない」(出エジプト20:13)、「復讐してはならない」(レビ19:18)と厳粛に命じ、また、「剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイ26:52)と武器をもって争うことの愚かさを教える聖書は、人間について、「彼ら(人間)の道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。」(ローマ3:16、17)と嘆き、その原因については、「彼ら(人間)の目の前には、神に対する恐れがない。」(同18)と指摘します。
この聖書に出てくる神とは、様々な国や民族、地域の中で生み出され、信じられている宗教の神ではなく、天地万物と私たちを造られ、今なお生きて私たちを生かしてくださる全人類共通の唯一の神のことです。そしてこの神の正義は、時代も国も民族も超えて通用する不偏のものなのです。この神に対する恐れがないので、人は破壊と悲惨の道を歩むと聖書は語っているのです。

神が平和をつくる

しかし、それと同時に聖書は、平和は神がつくるものあり、その実現はこの神が遣わしてくださったイエス・キリストの救いによると語ります。
「神はその高い所で平和をつくられる。」(ヨブ25:2)
「キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音(良い知らせ)として伝えられました。」(エペソ2:17)
「福音(良い知らせ)は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」(ローマ1:16)

神の正しさよりも自分の思想・信条を正しいとする政治によってではなく、すべての人が同じ聖書の神を正確に知っておそれ、イエス・キリストを自分の救い主と信じて神のみことばに従ってこそ、真の平和がもたらされると聖書は教えているのです。