私は病院勤務の看護師です。先日、院内の研修で「安全な情報管理」について講義があり、これは繰り返し行われています。個人情報の取り扱いについては厳しく指導され、罰則もあります。家族のカルテでさえ、関連部署の職員しか開けません。言うまでもなく、情報の守秘は私たちの当然の義務です。
「なるべく知られたくない」。確かにそう思います、病気の事に限らず、誰にでも人に知られたくない秘密があります、たとえカルテに記載されていなくても。

私は29歳のときクリスチャンになり、今55歳です。もう25年も経ったんだなと、改めて思っているこの頃です。そして天地万物を創造された神様の恵みをますます知るばかりです。なぜかといえば、私の個人情報は人の前には覆われても、神様の前には私の身体だけでなく、心の中の思いや考え事の全てがさらけ出されており、何も隠れていないからです。つまり、神様は私のカルテを持っていて、今でもそのカルテをもとに私のことを導いているのです。
そしてこのカルテは私の分だけではなく、今生きている全ての人の分もあるのです(あなたの分も…)。そこには私たちの何もかもが記載されていて、記入漏れがないのです。

なぜ神様は私たちのカルテを持っておられるのか、それは自分を見て言うのですが、人間は決してきれいなものではありません、罪という病気を持っているのです。そして罪という病気の症状は、悩みや苦しみ、悲しみをもたらし、私たちを死に追いやるのです。ですから神様は私たちのためにカルテを準備し、そのような人の心の中の全て(症状)を書き記し、そして全て理解し、治療しようとなさってカルテを準備しているのです。
何より重要なのは、神様のカルテには罪という病気を完全に治す治療方法も記されているということです。神様はそれに従って私たちの罪という病気を治してくださり、その予後である私たちの人生の歩みをも平安を得ることができるように面倒見てくださるのです。しかも治療費は全くかかりません、神様は愛と恵みによって最後まで(神様と会う日まで)処置してくださるのです。

この神様の愛と恵みは、イエス・キリストの十字架を通して世界中に示されていています。そして何年経っても古くならなず、ますます新しく知るばかりなのです。
ここをご覧くださる皆さんに、私はこの神様のなさってくださる罪という病気の完全な治療によって得られる平安を、あなたにも得て頂きたいと心から思っています。

伝道集会にお出で下さり、ぜひ聖書の福音を聞いてみてください。