十字架につけられたイエス・キリストと犯罪人

聖書には今から2000年ほど前にイエス・キリストが十字架につけられた場面について克明に記されています。その中で、一緒に十字架につけられた犯罪人がイエス・キリストを救い主と受け入れた様子についても記されていますが、その様子は今の私たちにとって一番必要な救いの必要と、その救いをどうやったら手に入れることができるかがこの犯罪人とイエス・キリストのやりとりをとおして示されています。

2021年7月4日の伝道集会では、この場面のところからこのことについて語られました。

引用みことばも記載しています、それをお読みになりながらお聞きください。

 

 

聖書のルカの福音書23章のみことば

①犯罪人の一人とイエス・キリストの十字架上での会話

「十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、『おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え』と言った。すると、もう一人が彼をたしなめて言った。『おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。』そして言った。『イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。』イエスは彼に言われた。『まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。』(ルカの福音書23章39~43節)

②犯罪人の心を変えたイエス・キリストのことば

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』」(ルカの福音書23章34節)

十字架のことば(聖書)は全人類に信仰による救いを与える

この犯罪人が救われたことは、今の私たちに対する救いの必要とその方法について実証しています。そしてこれは神様の一方的な愛と惠によって遣わされた神の御子イエス・キリストの十字架のみわざによって実現しました。これは人の善行や悟り、学問にはよらない、「信仰」によってもたらされる神の知恵に基づくものです。

十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを消し去る』と書いてあるからです。知恵ある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の論客はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。」(コリント人への手紙 第一 1章18~21節)

定期集会のご案内

本サイトの集会案内で紹介している通り、当集会ではこのような「神の福音」を毎週日曜日の午後2時からと毎週水曜日夜7時半から約1時間程度、また鶴岡においても毎月第2・4土曜日の午後2時からも同じように福音をお伝えする集会を行っています。詳細は集会案内をご覧ください。